夢を語れ!
30年先は、
これからの30年の中にある。
昭和四日市石油(株) 代表取締役社長 | |
新井 純 | Arai Jun |
1983年 資源工学修士課程修了 大塚良平研究室 2015年度インタビュー |
Q 早稲田では、どのようなことを学ばれたのですか?
1977(昭和52)年、当時の理工学部資源工学科に入学し、
1983(昭和58)年に修士を卒業するまで、大塚良平先生(故人)の研究室で鉱物工学を学びました。
当時の理工学部の花形学科は情報工学や電子工学で、資源開発などは「斜陽産業では」と囁かれていましたが、
中東戦争に端を発した石油危機に日本社会が揺れる中、エネルギー問題に関心を抱いていたのです。
大塚先生は、研究者として科学的なデータに大変厳しい方でした。「きちっとした仕事をするには、
データがしっかりしていなければならない」と。いい加減な実験をしようものなら、こっぴどく叱られましたよ。
一方で、「世の中は客観的なデータだけで動いているわけではない」と、データへの過信も常々戒めておれられました。
机上の研究だけではなく、資源開発の現場にどんどん引っ張り出してくれ、そこで働く人たちと膝詰めで対話する機会を数多く与えてくれました。
実社会と直結した学問のあり方を、人間味のある先生方、先輩方の背中から学ばせて頂いた6年間でした。
Q 卒業後、ロイヤルダッチ・シェル・グループの日本法人に入社されました。
入社後15年間は、石油開発のエンジニアとして東南アジア、オーストラリア、中東などをめぐり、
各国の作業員と共に石油を採掘する仕事に従事してきました。筆舌に尽くせぬ悪戦苦闘の日々でしたね。
特に駆け出しの3年間、欧州の北海油田での仕事は過酷でした。
荒波に浮かぶ洋上施設に滞在し、鉄管を下ろして石油を掘るわけです。
輸送中にヘリコプターが墜落した場合や火災発生時などに備え、オランダ海軍の実地訓練に送り込まれてセーフティトレーニングを受けました。
それはもう死に物狂いでしたよ。それだけの危険をおかして石油を掘り出してきた身としては、
飲料水並みにガソリンが安く売られている光景は我慢できませんね(笑)。
そのくらい、石油がいかに大切なエネルギーであるかという重みを感じながら働いてきました。
Q 働く上で大切にされてきたモットーはありますか?
「うまくいかない時こそ一生懸命がんばろう。そうすれば、過去はこれからを支える輝かしい経験になるし、
将来は先の見えない予想ではなく輝かしい希望になる」。常々、自分に言い聞かせてきた言葉です。
うまくいかない時は、誰にでもあります。エンジニアを「一生の仕事」と心に決めて突き進んできた私にも、
入社15年目に予想だにしなかった転機が訪れました。合併をして昭和シェル石油となっていた会社が巨額の為替損失を出し、
石油開発プロジェクトから総撤退してしまったのです。石油開発の仕事しかしていなかった私にとっては、言わば社内失業状態。
青天の霹靂でした。会社を去るという選択もあったのかもしれませんが、ここで腐ってしまえば、心血を注いできた経験がゼロになってしまいます。
「あくまでもエネルギーの仕事がしたい」。その一心で石油会社に踏みとどまり、全く畑の違うファイナンス業務に就きました。
以来、会社を建て直すべく無我夢中で働いてきました。
自分でも驚くほどの大転換でしたが、その時の経験は後に会社経営に携わることになった私自身を大いに助けてくれたと感じています。
偶然の出来事も含めてですが「すべての経験を1本につなぐことは可能だ」と言いたいです。
Q いま、学生の間でも「環境」への関心はますます高まっています。
素晴らしいことです。志を忘れず、自由な発想で、色々なことに挑戦してほしいですね。
現在、世界のエネルギーは2つの難題に直面しています。まず、人口が増え続ける中で供給安定性をどう確保するか。そして地球温暖化への対応です。
東日本大震災以降、日本ではエネルギーの安全性への関心も急速に高まっていますが、
エネルギー供給インフラを一瞬で変えられるような魔法があるわけではない。現実問題として、
これまで膨大な資金と気の遠くなるような時間をかけて作られてきたインフラを変えるには30~50年はかかるでしょう。しかし、現実がいかに深刻でも、
夢を忘れてしまえば30年後はない。私が大学生の頃は、太陽光、風力、地熱、バイオ燃料などの新しいエネルギーは夢物語でした。しかし30年経った今、
その幾つかは現実のエネルギー源として人々の注目を集めています。志を持った人々が、その夢を熱く語りながら、地道に挑戦した結果です。
昭和シェル石油の社長時代に、石油会社が太陽光エネルギー事業を本格的に開始し
、私は「学生時代の夢物語が現実になった」という感を人知れず抱いたことを忘れることはできません。
閉塞感漂う今こそ、諦めずに新技術を生み出す「創造人」が求められているのではないでしょうか。
これから30年が経過した後の世界を作るのは、現在学生である皆さんの世代が、これからの30年間、何を考え何に挑戦するかにかかっているのです。
あえて困難な場所へ―。徹底的に自己を鍛え抜くために。
Q 「自分のやりたいことが、よく分からない」という学生さんもいます。
自分を高めていく努力なしに、その答えは見つからないでしょう。何が自分に合っているのか。
今ある社会問題の本質とは何か。分からなければ片っ端から本を読み、人に会いながら、目を見開いて勉強するしかありません。
それが、学生の「つとめ」ではないでしょうか。
社会人になっても「学び」に終わりはありません。私は1989(平成元)年から2年間、スタンフォード大学大学院で経営工学を学びました。
学生の多くは社会人経験者ですが、みな「自分を徹底的に鍛えて、その先に行くんだ!」という意識の塊のような学友でした。
カルチャーショックでしたね。大学時代にも増して猛勉強した2年間でしたよ。
Q 最後に、今後の展望をお聞かせ下さい。
2014年3月にそれまで6年間務めた昭和シェル石油の社長・グループCOOを退任し、現在は、 三重県の四日市コンビナートにある製油所を運営している昭和四日市石油の社長を務めています。 エネルギーの安定供給、安全性の向上、環境負荷の軽減、石油精製の効率化……課題はまだまだ山積しています。 日本を支えるエネルギー供給基地を目指して、今後も挑戦を続けていくつもりです。