文化芸術に触れることで、
バランスの取れた人材を

社会文化領域 教授
秋葉 裕一Akiba Hirokazu
専攻分野 ドイツ語圏の文学や演劇 ベルトルト・ブレヒト
井上ひさしにみるブレヒト受容 「笑い」と喜劇 ドイツ語
2013年度インタビュー

文化芸術に触れることで、バランスの取れた人材を

Q 理工学部で演劇と聞くと、少し違和感があります。

――おっしゃるとおり、私の属する社会文化領域は、理工キャンパスにあっては、「異端」であり、圧倒的少数派です。1976(昭和51)年、私が理工学部の専任講師にしていただいた当時、所属する一般教育は26名だったと記憶します。専門の先生がたとの比は、ほぼ9対1くらいでした。社会文化領域は一般教育の後継組織ですが、「異端」であることの意義を認識し、非専門にも関心のあるバランスの取れた学生を育てようとめざしています。
今日、科学技術の専門知識は世界じゅう至る所で求められています。理工学部関係者ほど地球上津々浦々にでかけていける人たちはいないでしょう。留学にせよ、海外研修にせよ、あるいはビジネスに関わることであれ、早稲田理工の関係者の海外での活躍を良く耳にします。ただ、滞在が専門知識の修得や仕事のみに終るのではもったいないと思います。現地の人々や生活を知り、異なった文化を体験していただきたい。劇場へ行ったり、映画を見たり、博物館や美術館を巡ることで、海外での滞在はより内容の濃いものとなるはずです。理工の学生なればこそ、外国語の修得に励み、文化芸術にも開いた態度で接してもらいたいと願っています。
創造理工学部は、基礎的な知識・技術を人間生活に応用できるようにするために、創造を目指しているのだと思います。であるとすれば、人間をより詳しく知らなければなりません。人間の社会、人間の生活を反映・昇華してできた文化芸術に親しく接していただくことが、専門の研究を深めるきっかけになってくれるものと確信しています。

演劇はその場かぎりの「ナマモノ」「イキモノ」、でも消えることはない

Q 授業はどのようなことを?

――時間数から見るとドイツ語の授業がいちばん多いのですが、演劇や文学の授業も担当しています。これまでの経験から確認できるところでは、「演劇論」の受講生にはこれまで演劇を見たことがない学生が多い。「文学論」の受講生には文学に触れたことのない人が少なくない。つまり、授業を通して演劇や文学を知りたいと考える人が少なからずいるのですね。たしかに、それも当然かもしれません。受験勉強で演劇や文学どころではなかったのでしょう。でも、演劇を論ずるには演劇を見ていないと話になりませんから、私の授業ではヴィデオ上映などで疑似・演劇体験をしてもらったあとで、印象や感想を語り合い、原作のテキストに当たるというやり方を取っています。事情が許せば、演劇創造の現場で活躍しておられる方をゲストスピーカーにお招きすることもあります。数年前、文学座の俳優・加藤武さんに来ていただいたことがありました。加藤さんは本学のご出身であり、ご多忙にもかかわらず、後輩のために「俳優修業のエチュード」をやって下さいました。寸劇とも言えないほどのテキスト、対話のテキストを指名された二人がみんなの前で語るのです。それを聞いた加藤さんが、読み方についてコメントし、どこをどう変えれば思いや感情がどのように変わって伝わるか、対話者に指示します。すると、二回目に読んだ時には、ほとんど誰もが感じるほどに対話が変化します。演劇は生きた対話からできているということを再認識させられました。そして、抑揚やアクセントの置き方で、対話がいかにニュアンスの変わったものになるか、あらためて確認する思いでした。それにしても、加藤武氏のような大ヴェテラン俳優にお出ましいただけるのは、早稲田の演劇伝統の強みです。役者のみならず、劇作家、演出家、評論家、本学出身の演劇人は、まさに綺羅星のごとくです。

Q 実際に演劇を見に行く学生はいるのですか?

――受講が観劇のきっかけとなった学生は少なくありません。じっさいに劇場に足を運んだ学生は、例外なく、「すごく良かったです!」と言ってきます。たまたま私自身も見ていると、私にはそうは思えないこともありますが。はじめての観劇は誰をも圧倒するものなのでしょう。
演劇はイキモノ、ナマモノです。俳優の息遣いが聞こえ、滴る汗まで見えます。ときには、その汗が飛んできます。テレビや映画などと比べると、その臨場感は圧倒的です。厳密に言えば、まったく同じ上演を再現することはできませんから、その時その場に限って創造された一回限りのものです。効率とは対極、反文明的とすら言えるかもしれません。でも、演劇はなくなりません。その場、その瞬間に居合わせなければ見ることができないということに、おおいなる意義と価値が存するのです。

Q 早稲田大学には演劇博物館という施設があります。

――日本のみならず海外にも知られた演劇専門の博物館です。文学部を創設した坪内逍遥の古稀と『シェークスピヤ全集』翻訳完成を記念して、1928年10月に創立されました。正式名称は「早稲田大学坪内博士記念演劇博物館」です。逍遥以来の方針で、日本の演劇だけでなく、洋の東西を問わず、演劇資料を収集してきました。そうした資料をもとに、常設展示のほか、年6回前後の企画展が開催されています。
演劇博物館は、創立以来80年余、膨大な博物資料や図書資料を蓄積してきました。この資料を求めて、国内・国外から多くの研究者が集まってきます。演劇博物館は自ずと日本における演劇学の研究拠点となっています。2002年には本学文学研究科演劇映像専攻と協力して提案したプログラム「演劇の総合的研究と演劇学の確立」が21世紀COE(Center Of Excellence)プログラムに、また2007年には後継プログラム「演劇・映像の国際的教育研究拠点」がグローバルCOEプログラムに採択されました。これらのプログラムを通して、国際シンポジウムや研究者招聘、若手研究者の海外派遣、研究会の大規模な展開が可能になりました。優れた研究成果の刊行補助も実現しました。博士論文執筆をめざす特別研究生が、プログラ開始当初は35名だったのに対し、10年後には170名にまで拡大したところだけみても、若手研究者の演劇博物館に寄せる期待が窺われようというものです。2009年度には文部科学省の委託事業「特色ある共同研究拠点の整備の推進事業」に、演劇博物館が「演劇映像学連携研究拠点」として認定され、学外組織との連携、共同研究やシンポジウムなどを実施しています。

早稲田には演劇・映画を育む気がある

Q 演劇博物館には誰でも入れるのでしょうか?

――どなたでも入館可能です。夏休みは資料整理のために休館になりますが、学期中は毎日開館する月もあり、週末の利用も可能です。しかも、入館無料です。常設展示はもちろん、特別企画展も無料で、予約不要です。2007年に第一回早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞した村上春樹氏は、受賞の挨拶でこのような発言しています。
「学生時代は坪内博士記念演劇博物館、演博と言っていましたが、演博は好きな場所でよく足を運びました。いつも静かであまり人もいなくって。映画・演劇を専攻していた僕は、とにかくシナリオを書きたかった。演博にある古いシナリオを、次々に読んでは、まるで白日夢を見るように頭の中で映画をこしらえていました。映画を見に行くお金が無くて、演博を使っていたのですが、こういう作業が小説家になってから大変役に立っています。貧乏もたまには役に立ちます。長く続くとつらいですけど」(読売新聞 2007年11月20日付)
 演劇博物館は居心地の良い空間です。村上氏の小説『海辺のカフカ』に演劇博物館の閲覧室を彷彿とさせる図書館が出てきます。興味のある方は、一度足を運ばれては如何でしょうか。

Q 最後に、受験生に対して一言お願いします。

――早稲田の地には演劇や映画を育む気があります。演劇博物館を支えるのもそうした気です。演劇サークルや映画サークルがそれこそ数え切れないほどあり、演劇界、映画界に多くの人材を輩出してもいます。ですから、演劇や映画などに関心がある方にはおすすめの大学です。
大学の4年間はあっという間です。自身が主体的に動かない限り、何も得られません。創造理工学部を志望される方については、冒頭にも述べましたように、ただの専門家ではなく、教養あるバランスのとれた人間に育っていただきたい。私としては、ドイツ語や演劇の授業を通して、科学者・技術者として世界に雄飛しようとする方々に、なんらかのお手伝いができればと願っています。