道具は世界を「拡張」するためにある

総合機械工学専攻 修士2年
市川 夏子 Ichikawa Natsuko
上杉研究室
2020年度インタビュー
※新型コロナウイルス感染対策のため、リモートで取材を実施しました

Q 研究の概要を。

脳卒中患者の「麻痺」と似た感覚を得ることのできる「擬似麻痺体験ツール」の開発に取り組んでいます。脳卒中の後遺症で多くみられるのが身体の麻痺。その原因は、患者の動きと脳の認識にズレがあることなのですが、「擬似麻痺体験ツール」ではこのズレを全身の振動刺激によって体験できます。
擬似麻痺体験ツールは、腕や脚などに装着して使用するもので、身体中にある「腱」に振動刺激を与えることで、装着した人に錯覚と反射を生じさせます。そのときの感覚が脳卒中患者の麻痺と似ているのです。
高齢化が進む日本社会では、脳卒中患者はとても身近な存在です。彼らは生活のあらゆる場面で麻痺に苦しんでいます。でも、介護者は麻痺を体験したことがないので、具体的にイメージすることができません。これでは患者目線の適切なケアを提供するのが難しいということです。「擬似麻痺体験ツール」は、リハビリや介助の質の向上に役立つのではないかと考えています。

全てを自分で作り上げることで
「使いやすさ」を追求する

Q 設計で工夫した点は?

上杉研究室では、これまでもいくつかの擬似麻痺体験装置を開発してきました。しかし過去に開発した装置は,装置自体が大掛かりなものになりがちでした。
私は臨床経験者から患者の家族までだれもが簡単に扱えるものを目指しました。その結果、コンパクトかつ、だれでもひとりで簡単に組み立てて使用できるものになりました。
使用感については理学療法士の先生からフィードバックを受けました。彼らは日頃から脳卒中患者に接しているので、麻痺の感覚こそわかりませんが、患者の反応について知り抜いています。そこで指摘された点を設計に反映して、より脳卒中による麻痺の反応に近づけていったのです。
あらゆる部品を自分で作ったのも、こだわったポイントです。総合機械工学科には、レーザーカッターや3Dプリンターなど実際に製品を作れる環境が整っていますから、製品と特徴を把握するためにも、できるだけ自作しようと考えました。
各部品をCADで設計し、試作品を作り、自分で組み立て、テストして、気になった点を修正する。これをひたすら繰り返しました。
3Dプリンターで出力された部品は、設計図面どおりには出力されません。微妙に大きかったり、仕上がりが粗かったりするのです。CADに詳しい先輩に教わりながらデータ上の誤差を考慮して設計することで、なんとか完成できました。
完成した擬似麻痺体験ツールは、脳卒中のリハビリに関するワークショップで理学療法を学ぶ学生や臨床経験者、高校生を対象にテストしてもらいました。
装置をつけた状態で歩行したり、物を持ち上げる動作をしたりしてもらい、参加者からフィードバックを受けました。
経験の長い理学療法士は患者のことを知り尽くしていて、理学療法を学んでいる学生はある程度の知識を持っている。一方で高校生からは、先入観のない意見が取れるはず。多様な視点から脳卒中による麻痺に迫ろうと考えたのです。
一番嬉しかったのは理学療法を学ぶ学生から「擬似麻痺の体験は実務で役に立つはずだ」という感想があったこと。社会に貢献できる実感のようなものを得られました。

理論を学び、実際に使うことで
社会に役立つ研究を

Q 研究の課題は?

擬似麻痺体験ツールで得られる麻痺感覚に個人差があることです。
先日、学会発表で製品のデモンストレーションを行いました。発表後の質疑応答で、ある先生から「麻痺のレベルに合わせた振動調節ができるといいのではないか」というご意見をいただきました。
これに対応するには麻痺の程度によって、振動をコントロールすることが必要だと考えています。振動には振動数や振幅、周波数、加速度、押し込み力など、さまざまな要素があります。これらの要素がどのように麻痺感覚に影響を与えているかわかれば、たとえばマッサージ器で強弱の設定を切り替えるように、重症者、軽症者、その中間など、症状に合わせた麻痺のレベルを操作できるようになるのではないかと考えています。

Q 将来の展望を。

実は2週間ほど前に就職が決まりました。文房具やオフィス家具を扱う会社で、企画と開発を担当する予定です。色々なメーカーを見て回って、設計から流通まで携わることができる会社を選びました。
研究室で擬似麻痺体験ツールの構想から設計、加工まで、一連のプロセスを経験する中で、自分でやることの楽しさを知りました。仕事でも「ものづくり全体」に関わる会社がしたいと思ったのです。

Q 上杉研で学んだことはどんなことですか?

「道具は時に人を不自由にする」というのが上杉先生の考えです。自動化や効率化を求めるだけでは、人の可能性を狭めてしまうと。
麻痺に対して必要なのは、治療だと考えるのが普通でしょう。しかし、擬似麻痺体験ツールの発想は違います。患者の生活の困難さを知ることで、ケアに活かせないかと考えるのです。
このような「道具によって世界を拡張する」アプローチは、上杉研ならではのもの。少しでも興味を持ったら、総合機械工学科に進学して上杉研の門を叩いて欲しいですね。