建築家として独立したい──
だから早稲田建築への留学を選んだ

建築学科 学部2年
林 娉宇Lin Pinyu
2018年度インタビュー

Q 早稲田建築に留学したきっかけは?

カンボジアでのボランティア経験を通して、建築に興味を持ちました。中心地から遠く離れた村で、家屋を基礎から建てる建築ボランティアに参加しました。その活動を通して「成果が形になる」「ずっと使ってもらえる」「人に安心を与える」という建築物の素晴らしさを知りました。台湾に帰国した後、建築を勉強したいと両親に相談しました。すると、建築の分野は海外の方が進んでいて、中でも早稲田大学は台湾でも有名だから日本に留学するといいと勧められたのです。台湾とも比較的近かったこともあって、日本への留学を決めました。
日本での生活にはすでに慣れましたが、来日当初はとても大変でした。一番苦労したのは朝の通勤電車です。走るような速さで歩く人々にぶつかりながら改札を通ると、次はすし詰め状態の電車に乗って西早稲田駅まで耐えなければなりません。しかし、今では歩く速さが日本式になってしまって、台湾に帰省すると地元の人が遅く感じてしまいます。

日常にアンテナを張り、
自分しか知らない美を見つける

Q 印象に残った授業はありますか。

設計演習という授業は単純に建築について学ぶのではなく、設計に必要な独創性を養うための授業で、毎週異なる課題が出題されます。
印象に残る講義が数多くありましたが、なかでも次の二つは非常に印象に残りました。一つは、小阪淳先生の「私しか知らない美」という課題で、自分が生活する中でふと感じた美についてデッサンするものです。自分がその時、その角度から美しいと感じた視点について考えることで、自分にしかできない設計の力を身につけることがねらいです。私は、鉛筆の削りかすをデッサンしました。この授業を受けるまで、身の回りを慎重に観察することがなかったので、何を描けばいいかわからず頭を抱えました。そんな折、別のデッサンをしていた時に鉛筆削り機の蓋が偶然外れて中の削りかすが舞ったのです。その瞬間、削りかすが桜吹雪のように見えました。本来捨てられるゴミであるはずの削りかすが美しく見えて、散らばったのをその場でデッサンしました。日常にアンテナを張ることの大切さを知りましたね。
もう一つは、中谷礼仁先生の「役に立たない機械」という課題です。役に立たない機械とは、「何かの役に立っていそうなのだが、それが何かは決してわからない機械」のこと。例えば、穴のなく玉が出せない福引抽選機や、チョココロネからチョコを吸い出して、ただのコロネにする装置、持ち上げると走るけれど接地すると止まるミニ四駆のように、あえて本来の機能を台無しにする機械を作る授業です。役に立つ機械の正反対を製作すると、逆に機能についての理解が深まります。なぜなら、機能を打ち消すためには、どのような機能があるか知る必要があるからです。既成概念を一度取り払ってアイデアをひねり出すことは、建築において非常に重要だと思います。ちなみにこの授業は、あのタモリ倶楽部でも取りあげられたんですよ。
私が3週間かけて製作した作品は、ヘッドバンドに人の手が生えたような装置です。中谷先生が「癒し手」という名前をつけてくださいました。針金が布製の手につながっていて、頭を撫でてくれます。製作した当時は、日本での一人暮らしに慣れはじめた頃。家に帰っても話し相手がいなくて寂しさを感じていました。頑張ってるよと誰かに言って欲しい気持ちが、この機械を生み出しましたのだと思います。本当は、少し役に立っていたかもしれません。

林さんが製作した「癒し手」

建築家のそばで経験を積み、
いつか夢を叶えたい

Q 将来の展望を教えてください。

卒業後は建築家になりたいと思っています。将来独立することを考えて、色んな経験を積みたいので建築設計事務所でアルバイトをしています。ゼネコンなどの建設会社に入社することも考えました。実際、大規模建築物を設計することは大変魅力的です。しかし、将来事務所を持つにあたって、建築家のそばで経験を積むことに勝る経験はないと思い、まずは事務所への就職を目指しています。建築家になることは決して簡単な道ではありませんが、名門の呼び声が高い早稲田建築に留学できたことは夢への大きなステップでした。そしていつか、早稲田大学出身の建築家として、世界へ羽ばたけるように頑張ります。