建築とは一個の建物だけではなく
人が暮らす空間の“雰囲気”を作ること

建築学科 教授
古谷 誠章Furuya Nobuaki
専攻分野 建築計画 建築設計
2013年度インタビュー

早稲田の伝統「実践を通して学ぶ」を受け継いで

早稲田の建築学科には、実際に活躍する建築家が専任の教授として教える伝統が受け継がれています。強く影響を受けたのは大学院時代の恩師、穂積(ほづみ)信夫(のぶお)先生です。院生のとき、本庄高等学院の実施設計のお手伝いをさせていただきました。教科書で教わるだけでなく、実地に教わっていたのです。その工事を大学院修了後も研究室に残って完了させました。それが現在につながったわけです。「実践を通して学ぶ」気風は、今の研究室にも残しているつもりです。

学生時代にしかできないぜいたくなスタディを

実践といっても、実社会ではできないような、原点に立ち返って根本を見直したり、じっくりと時間をかけたりするリサーチやワークショップを学生には経験してもらいたいと思います。最終的に作るものは同じでも、いわゆる手順通りに設計に入るのではなく、設計そのものよりももっと手前の根本的な部分を、幅広い視野を持って足を使って調べ、考える。そういったことは期限や予算の制約がある実社会ではなかなか難しい。ですから今のうちに、いろいろな領域の多彩なケースに触れる機会を作り、何のための建築かを考えてもらいたい。そのために、希望する学生には様々なプロジェクトに参加してもらいます。では、その主なものを紹介しましょう。

① 雲南(うんなん)プロジェクト

島根県雲南市は、出雲に南の六町村が合併してできました。合併したことで、公共施設が重複して遊休化していました。そこで、学生たちが市の公共・公有施設を全てリサーチし、廃校を利用したコールセンターなどの再活用のアイディアを出したわけです。
ただし、実行するには予算が必要ですから、予算内のものから実施することになりました。最初に実施したのはおまつりのデザインです。キレイな桜並木のある商店街がありまして、「さくらまつり」の2日間だけは人が集まるのですが、それ以外の時期は閑古鳥が鳴いているような状態でした。
そこで、雲南中の山の幸や、特産品を持ち寄って直売会を企画しました。かつては違う町だったものが合併したことで同じ市内になりましたので、今まで知らなかった特産品を実際に見たり味わったりできるイベントを「さくらまつり」の期間にあわせて開いたらどうですかと提案したのです。商店街の真ん中の通りを通行止めにして、100mの長さのテーブルを置き、真っ赤なクロスをかけて食事ができるようにするなどの提案をしました。
また、合併で廃校になった小学校を改修して、地域の交流センターにしようという活動もしています。単に企画や設計、施設利用の提案にとどまらず、地域の持続的・自発的な活動として定着させるために、地元行政・住民・中学や高校と共同でプロジェクトを進めています。

② 奈良プロジェクト

奈良プロジェクトは、吉野郡における吉野材(スギ・ヒノキ)の魅力を最大限に活かした新しい用途開発やデザインの開発、ブランド作りを推進し、県の林業・木材産業の振興を図ることを目的としています。吉野材は年輪も密実で、節もないきれいな木材ですけれども、値段が高すぎて売れないのです。そこで、現代に吉野材を活かせるデザインはないか、どのような建築やインテリアが考えられるのかを提案しています。例えば、子どもや高齢者が自然と触れ合えるようにとの発想から、木造の小学校や、高齢者福祉施設のインテリアなどを提案し、生活空間で吉野材を活用するデザインを考えています。

③ 月影(つきかげ)プロジェクト

月影プロジェクトは、4大学の研究室合同で活動してきたものです。新潟県上越市に合併で組み込まれた地域に月影の里があり、そこにあった月影小学校が閉校になりました。地方の山間地域で、小学校は地域住民にとって地域活動コミュニティの拠点になっていたのですが、閉校によって使われなくなり、コミュニティが衰退してしまいました。もう一度、地域の活動のためにリノベーションして使えないかと考えたことがスタートです。
月影小学校は2005年4月、宿泊体験交流施設「月影の郷」として生まれ変わりました。その後も地域の民具展示計画などを行い、地域コミュニティ再生の試みを行っています。

人と人とのつながりが復興のお手伝いを果たす

東日本大地震により被災した岩手県の田野(たの)畑(はた)村は、恩師の穂積先生が設計をされた中学校寄宿舎、アズビイホール、民族資料館等があります。
私は穂積先生のお手伝いで、新幹線もなく陸のチベットと呼ばれた時代の三陸海岸に何度も出かけました。もう30年ぐらい前ですね。今回の震災で田野畑村が被災して、気がかりだったので連絡を取ろうとしたのですが、最初の2週間ぐらいは全く音信不通、電話もメールもなんにも繋がらない状態でした。やっと3月の終わりになって連絡を取り合えるようになりました。状況を聞いたら、我々が作った体育館やホールが避難所になっていたのです。
雑魚寝のような状態をまだしばらく続けなければならないので、プライバシーの問題などが起きていました。我々は、簡単に仕切れるパーティションをダンボールで作ることにしました。学生たちと資材をトラックで運び、女性の着替えや子どもの勉強時に使えるようなブースを15ぐらい建てました。その他にもダンボールで身の周りのものを整理する棚を作ったり、簡易な卓袱台(ちゃぶだい)を作ったりしました。
その後、高台に移転した後はどんな集落を作ったら良いだろう、と相談されました。そこで、あの地方独特の南部曲り家を意識したL型の住棟をデザインしました。L字で囲まれた前庭を自家菜園のような野菜畑にできますし、漁具の手入れをする場所にもなります。お互いの姿が見えて交流に繋がるような住棟配置を提案しました。
深刻な災害でしたが、昔からの村を知っている我々のような縁のある人間が手伝うことによって、血の通ったものができ、少しでも復興の役に立てればと思っています。学生たちにとっても貴重な経験になりました。今後も、震災復興に限らず、雲南プロジェクトや月影プロジェクトのように小さな村が抱える問題などに取り組んでいきたいと思っています。こうした問題の解決は容易ではありませんが、社会にとって乗り越えなければならない課題であることは確かです。これからの大学は、それらを相談できる窓口になるべきではないかと思います。

早稲田の伝統を活かした新たな試み

建築学科がここ数年実施していることなのですが、従来は個人で提出していた4年生の卒業計画を、3人で取り組む共同課題にしています。例えば、建築計画が専門の学生、構造力学が専門の学生、環境工学が専門の学生というように、必ずデザイン系と工学系が混ざるように編成し、ジャンルを超えたコラボレーションを試みています。最初のうちは戸惑いもありましたけど、それぞれの専門の観点を持って3人で合議しますと、社会性を持った重要な課題が取り上げられるようになりました。成果として一番良かったのは、その3人が、その後進む大学院や実社会まで交流が続くことです。学生が自分たちで応募するコンペにお互いが知恵を出し合うなどの連携ができてきました。それが早稲田建築学科の新しい特長になりつつあります。将来、どのような成果を生み出すか、とても楽しみですね。