「繕う」意識のなかで、
様々なスケールと立場を横断してものごとを捉える

KASA / KOVALEVA AND SATO ARCHITECTS
佐藤 敬 Kei Sato
2012年 修士課程修了(石山修武研究室)
2022年度インタビュー

Q 手掛けてきた事例を教えてください。

ベネチアビアンナーレのロシア館の改修を担当しました。これはロシアを代表する建築家、A. シューセフが1914 年に設計したもので、100年以上の歴史を刻んできた建物です。歴史的な建築物の改修といえば建てられたときの状態に戻すというのが一般的ですが、生まれたての状態に戻すというのは人間で言えば赤ん坊に戻すということ。それが一番純粋で価値があるというのはちょっと違うのかなと。むしろさまざまなことを経験して大人になり、その時々の価値観により、変わっていくことこそ豊かというか歳をとっていくことの良さだと考えています。建築も同じです。

Q 具体的にはどのような改修をされたのですか?

ロシア館の歴史を調べていくと、もともと緑色を基調とした建物が黄色やオレンジに塗り替えられていたり、地上階の倉庫を展示室へと改変されていたり、室内の床が上げられ、また扉が加えられ、窓が塞がれという具合に、時代によって色々な変遷があることがわかりました。

改修する前のロシア館は、アート優先の価値観が強くホワイトボックス化していて、そこがインドなのかパリなのかはたまたブラジルなのかも分からないような空間でした。美しいラグーンを見渡せるテラスがあるのに、全く使われていなかったり、上下階を繋ぐ階段もなく動線が破綻していたりと問題だらけ。
僕らがやったことはそれらを肯定しながらも関係性を調整し、「周囲とつなげる」こと。例えば、構造的問題があった上階の床スラブを一度解体し、可動式の梁に置換することによって地上階へ光を取り入れながらも、必要に応じて床を拡張できるようにしました。これによってかつての姿や記憶を残しながらも、展示のフレキシビリティを向上させることで、未来へ開きながら周囲とつなげることができました。第17回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展2021の審査員長、妹島和世さんからは「天窓からの自然光に溢れる明るい吹き抜けがファサードに面したことで、内部と外部が連続し建築の印象だけでなく、ジャルディーニ公園の正門から続くメインストリート自体が今回2021年の改修によって明るくなった」という言葉をいただきました。
ロシア館の建設当時の目的はその建築様式でロシアの国民性を表現するというものでした。翻って自分たちに何ができるかと考えると、現代に新しい建築様式というのは難しい。そこで、ロシアの人々の生活に目を向け「ダーチャ」という生活様式に着目しました。「ダーチャ」は菜園付きセカンドハウスのようなものです。ロシア人の多くは都市のアパートと田舎のダーチャを往復して暮らしています。そこで、このロシア館をロシアの人にとっての「ダーチャ」と捉えることで、ベネチアにありながらロシアを思うような場所にできないかと考えたのです。そんな思いが重なった時に「作品=もの」が中心の空間ではなく、「人間」を中心に人をもてなすような場所へと生まれ変わるようにと思いを込めました。

ロシア館

島のくらしの記憶を、その土地のマテリアルで表現

Q 他の事例も教えてください。

瀬戸内国際芸術祭に出展した「ものがみる夢-海の庭と島の庭-」という作品は、香川県の小さな離島「伊吹島」が舞台です。もともといりこ漁で栄えた島で、最盛期には5000人程度の人口だったのが今では100人規模まで減ってしまっている。こういう話だけ聞くと寂しく暗いイメージがするかもしれませんが、訪れてみると全然そんなことはない。
瀬戸内海に面しいていてとても穏やかな海があるんですが、よく見るとすごく多様というか、様々な景色をみせてくれる。ボートが通るとすっと色目が変わるのが特に美しいと思いました。
その様を島の漁業に使われた網を使って表現したのが「海の庭」です。
そんな美しい海に囲まれている水の豊かな伊吹島ですが、皮肉なことになかなか水道が通らず、島民は苦労してきました。その時代の井戸や水を汲む桶などの水にまつわる道具をつかったのが「島の庭」です。モチーフにしたのは島の到るところにある花畑。これは空き家が多く解体工事も盛んに行われているのですが、解体後の土地に花を植える習慣があり、それによりできたものです。島の方にとっての生活の記憶を留めるようなものになりました。

海の庭

島の庭

拠点のある文京区小石川でも精力的に活動

Q アトリエのある文京区小石川でも活動されているそうですね。

このアトリエはもともと印刷所だったところを自分たちでリノベーションしました。建築的にどうか言うよりは、時間をかけてやったというのが特徴でしょうか。最近は街の景色があっという間にかわってしまって、新たな建物ができても前に何があったか憶えていないこともままあります。ここでは囲いも設けず公開しながら工事をしたこともあって、街のみなさんの注目の的に。子供たちが不思議そうにみていたり、話しかけてもらえたり、差し入れをいただいたりして手伝いをしてくれたり、地域に溶け込む礎になりました。それが小石川植物祭につながっていくんです。

Q 詳しく教えてください。

小石川植物園というのが事務所のすぐ近くにあるのですが、正式名称は東京大学大学院理学系研究科附属植物園と言って、東大の研究施設なんですね。江戸時代からある施設で当時は御薬園という薬草を作るところで、その後療養所になり植物園になった由緒ある場所なんですが、地域の人はあまり関心がないように見えました。高い塀で囲まれているのもあって、地域に溶け込んでいない。ここで暮らしているうちに植物園とまちとの隔たりが気になってきました。何かできないかと考えて、企画したのが小石川植物祭です。これは「植物」を軸にまちについて思考し、実践する場づくりを目的とした循環型プロジェクト。ビジョンとして「『植物』と考える、まちのこれから」を掲げています。
小石川のまちにいるさまざまな専門家に、その人独自のものの見方で植物を起点に作品をつくっていただきました。例えばパン屋さんは植物園の果物から酵母とりパンを膨らませ、染物工場は植物で布を染める。ある作家さんは植物園にとっての駆除の対象の雑草から繊維をひき布をつくったり。植物園を題材とした文学作品をテーマにする方や、植物から香を抽出する調香師もいました。作家の視点から植物園を通じて暮らしのことやそれにまつわる学びについて考えてもらえるようなものを目指しました。予想以上の反響があり、3日間で1万人に来場していただきました。今後も継続していく予定です。

小石川植物祭

小石川植物祭公式WEBサイト:https://koishikawabotanicalfestival.org/

多様な視点をもつこと。「繕う」こと。

Q 作品をつくるうえで大事にしていることはなんですか?

多様な視点を持つことです。早稲田時代には石山修武に学んだ後に石上純也設計事務所に入りました。この二人の師匠は非常に対照的と言われていて、キャリアとしては異例だと思います。それも全く違うと言われている二人から学ぶことで違う視点を持ちたかったから。
作品にしても例えばロシア館のような「国」というスケールから瀬戸内海のようなスケール。さらにアトリエや植物園といった「地域」のようなスケールまで、さまざまな環境を往き来することで見えてくるものがある。
今は「繕う」という言葉がしっくりきています。
これは金継ぎのように古くなったり、壊れてしまったりしたものを直すことによって新しい価値を与えるような営みを指しています。金継ぎは日本のもので、なおしながら生かしていく素地があるはずなのですが、街並みを見ていると壊しては作りを繰り返していて、周りとの調和も意識していないように見えます。そこにコモンセンスというか、さまざまな視点やスケールであるべき姿を提案する。建築家としてだけでなくそんな「ひと」になれたら良いですね。