互いに影響し合う科学と文学 ——
垣根を超え広く批判的な思考を養う

社会文化領域 准教授
野田 農 Noda Minori
2022年度インタビュー

文理の垣根を超えた広い視野が求められる

従来、大学を中心とする学問の場では、理系と文系それぞれの枠のなかで研究や教育が行われてきました。しかし、近年、研究や教育で取り扱うべき課題に対しては、その垣根を超えた広い視野が求められているように感じます。一般に自然科学は、人間の外にある自然やもの一般を対象にする一方で、人文科学は、人間そのものを追求したり、人間から見た世界を捉えたりする学問だとみなされていますが、理工学術院に位置付けられた社会文化領域では、人間の思考や言語を対象としながら、更には人間を起点に科学技術を考えなおす、ひとつの契機を提供することがその役割ではないか、と私自身は考えています。

そんな社会文化領域では、一般教養としての語学と、人文および社会科学についての授業や講義が行われています。第二外国語として、スペイン語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、中国語が選択可能で、講義科目として、経済学や心理学、文化人類学、文学などに関する講義が行われています。加えて、学部の必修科目である「創造理工リテラシー」という講義では、理系分野の専門知識を活用しながら、よりアカデミックで科学的なテーマに関しての表現方法を学びます。今年は「IoTを活かすまちづくり」というテーマで、ワークショップを数回行いながら、学生が自ら調べて提言をまとめ、最終的にはプレゼンテーションとして表現することを目指しました。いわば、大学での学問の基礎を学ぶための講義なのです。

同時代の科学思想を創作原理に取り入れたエミール・ゾラ

社会文化領域では、上記の必修科目に加え、私はフランス語とフランス文学を担当しています。「文学と科学」という講義科目では、19世紀のフランス文学と当時の科学技術について、取り上げました。当時フランスは、科学の発展が目覚ましく、また科学と文学が接近した時代でした。

私の専門であるフランス19世紀後半の自然主義の作家エミール・ゾラ(1840-1902)は、実証主義や生理学など、同時代の科学思想に関心を持ち、自らの創作原理として取り入れた小説を多く執筆しています。それまでの時代では、作家個人の想像力に依拠し、空想的な物語を描くことが小説の目指すところでもありました。しかしゾラは、こうした作風に批判的な立場を取り、科学的な観点に則って作品を描く「自然主義」の先駆者となります。ゾラは、自分の文学を打ち立てるために、社会が発展していくなか、科学技術や都市の風景を中心とした、現実世界を描くことに意識的に取り組んだのです。

彼の代表作である「ルーゴン=マッカール叢書」では、第二帝政時代のフランスを舞台に、鉄道をはじめとする同時代の科学技術や建築を作品中に多く取り入れ、近代都市の風景を描いています。また登場人物を通してアルコール中毒や神経症などの病を描く一方で、当時隆盛し始めた科学的テーマである「遺伝」の要素を、数世代にわたる登場人物の体系の軸としているのです。

現実の概念を追求し、過去を浮き彫りにする文学

私は、昔から小説を読むことが好きで、人間が自由に想像したものが、現実の概念を深く追求し、ときに現実そのものに影響力を持つことに関心を持っていました。私が大学2年生だった2002年は、ちょうどゾラの没後100年にあたり、日本ではそれまで完全な形では翻訳されてこなかった『ルーゴン=マッカール叢書』の本格的な翻訳が始まりました。そうした流れのなかで、ゾラの作品をより深く知るきっかけを得ることができ、ゾラが生涯を通じて打ち立てた作品世界に魅了されたのです。

文学は実際になにかを生み出すわけではなく、あくまでも作家が見た現実や想像世界を記述することしかできません。例えば、タイムマシンでもない限り、過去の時代を実際に見に行くことは難しいでしょう。しかしながら、小説は人間の想像力だけではなく、作家が現実の場を取材し、綿密な調査を重ねることで、より妥当な過去を推測し、描き出す営みともいえるのではないでしょうか。人は小説を通して、間接的に過去を垣間見ることができるのです。ここにフィクションの意義があると思います。

人文科学の学びを通して広く批判的な思考を養う

また小説は、後の時代の科学技術に影響を与える可能性があるともいえます。19世紀は、フランスではジュール・ヴェルヌをはじめ、SF小説が生まれた時代でもあります。また昨年度の授業で取り上げた19世紀後半の作家ヴィリエ・ド・リラダンの『未来のイヴ』のなかでは、アンドロイドがいち早く描かれています。こうした作品は、後の時代の文学のみならず、科学の分野においても影響を与え、新しい世界観や価値観を生み出しています。このように小説は、そのなかに留まらず、現実世界にも影響を与え、科学技術の発展に少なからず貢献しているといえます。

理系の学生が、文学を学ぶ意義としては、ひとつには専門外から広く科学を扱い、しかも批判的に捉える思考を養えることにあると思います。多くの作家や文学作品には、科学を批判的に捉えているものが多く、ゾラもそれらを小説に反映させています。作家たちは、科学に魅せられつつも、その限界を早くも感知していたからかもしれません。高校までの学びは、理系と文系との間は隔てられがちです。しかし大学では、その垣根を超えた学びも可能です。人文科学の学びは、専門だけでは捉えきれない広い視野を与えてくれるのではないかと思います。