建築家をつくりたい──
個人で責任を持つことのできる自由を

建築学科 教授
宮本 佳明Katsuhiro Miyamoto
2023年度インタビュー

実際に手を動かすことでしか、見えないことがある

実務者にしかわからないことがあると思うんです。建築批評家や建築史家をはじめとした研究者が立てた精緻な論理とはまた別に、実際に手を動かしてつくることで見えてくるものがあります。
現在、「北九州市立埋蔵文化財センター」【図版1】のプロジェクトが進行中なのですが、これは旧八幡市民会館を改修し、埋蔵文化センターとして蘇らせるというもの。八幡市民会館は、本学の建築学科草創期の巨匠村野藤吾の設計です。
このファサードのレンガタイルの壁【図版2】を見てください。実は中央が微妙に前に傾いています。いわゆるコノイド曲面と呼ばれるもので、一定の長さの線分が傾きを変えながら動いた軌跡によって壁面の形状が決められています。その結果、正面から見た時、壁面の上端部は水平ではなく、中央部に向かって微妙に垂れ下がるラインを描きます。CADもない時代によくこんな複雑な設計をしたものだと思いますが、中央部の微妙な垂れは私が実際に改修設計に携わったからわかることで、多くの専門家にも知られていないことだと思います。このようにつくること、手を動かすことで初めて見えてくるものを大切にしたいと考えています。

私は兵庫県宝塚市の出身で、阪神淡路大震災を経験しました。あの地震によって、当時住んでいた生家は「全壊」という判定を受けました。当時、公費による解体制度はあったものの、公費による修繕の制度はありませんでした。当然、市民は修繕より無料の解体に流れます。修繕という最も経済的で速効性のある対策が、結果的に断たれてしまった。その異議申し立ての意味も込めて、生家を耐震改修しました。傷んだ既存の木造部分はそのままに、鉄骨で新たなフレームを組んで本格的な補強を施した「ゼンカイ」ハウス【図版3】という作品です。
「ゼンカイ」ハウスを設計することで、建築というのものが記憶を運ぶものであるということを知りました。

記憶を運ぶ建築

東日本大震災によって大きな被害を受けた地域では、いわゆる震災遺構と呼ばれる建築物は、震災の記憶と強く結びついているために、忌避されることも多いようです。
一方で、たとえば住宅というものは、家族の幸せな思い出を留めた器でもあります。がれきの撤去が進むと、住宅の基礎だけが残されます。かつての住人とそんな住宅の跡を訪れると、「ここがリビングで、ここにソファがあって、そこが誰々の部屋で、、、」と話されることが多い。それを更地にして、さらに嵩上げして、せっかくの記憶の器をまるごと消してしまうのはもったいないと思いました。
「元気の種をまく」【図版4】というプロジェクトは、そんな思いからはじめたものです。津波で流された跡の基礎に花の種を撒くことで、花壇に見立てたのです。椅子やテーブルも置きました。 被災地では、じっと「立ち尽くす」人をよく見かけました。私たちは基礎を「座って、見上げる」ことができる場所にできないかと考えたのです。

長野県の伊那谷では、澄心寺(ちゅうしんじ)というお寺の境内に、住職の住まいである庫裏(くり)をつくりました【図版5】。庫裏といっても檀家さんが集まるコモンスペースも内包した建築です。
この大屋根は鉄筋コンクリート造で、ほとんどインフラストラクチャーと言って良いような強固な構造物になっています。檀信徒さんたちの記憶を運ぶ「変わらない」風景を象徴するものです。一方で大屋根の下には、実質的な生活空間として、時代やライフステージに合わせて「変わる」風景に対応した、簡易な木造の構造体を置きました。
同じ長野県の松本では「こまめ塾」【図版6】という学習塾、託老所、生活クラブ生協のステーション等の複合機能を持ったコモンスペースを設計しました。
クライアントのお父さんがかつてリンゴ園を営んでいたのですが、冬の夜はタイヤを野焼きしたりして、霜が降りないように温度を保つ必要があります。そのための監視小屋としてつくられた建物を改修したものです。
補強コンクリートブロック造の監視小屋はお父さんが自力で作り上げたもので、そこには家族の記憶が染み付いています。既存の構造はほとんどそのまま残しつつ、耐震補強を施しました。構造設計は東京大学の佐藤淳先生と協働したものです。建物周辺に張り巡らされた鉄骨と鉄筋でコンクリートブロックを上下にギュッと締め付けるという構造の考え方です。施工の際には、学生たちが大いに活躍してくれました。鉄骨工事と言った専門的な工事以外はほとんど職人さんの手を借りずに、セルフビルドで仕上げています。

自分の頭で考える機会を与えることが、私の使命

ありていに言えば、学生たちには「建築家」になって欲しい。独立した立場で設計活動をするフリーアーキテクトにです。そのために必要なのは、何よりも柔軟で自由な発想でしょう。しかし、発想の自由さは、基礎があって初めて活きることですから、まずは目の前の課題に取り組むこと、高校生や受験生で言えば受験勉強をしっかりやるという当たり前ことがとても重要だと思います。受験という大きな「プロジェクト」の経験自体が、後の人生で、たとえば建築設計と言った時間のかかるプロジェクトを進めるためにとても役に立つと感じます。
さきほども大学院の授業の街歩きで神楽坂方面に行ってきたんですが、もう、ただ歩くだけでネタには困らないというか、街中の建築は面白いことだらけ、話したいことだらけで時間が全然たりない。でも、それも基礎があっての話しです。最初から我々のように街の風景から無限の面白みを感じ取れる学生はいないと思います。大学に入ってからは、自分の頭で考えることを意識してやって欲しい。
実務家としての建築家というのは、すべて自分で考えて設計をし、できあがったものに対して個人で責任をとり、そして同時に評価も受ける。厳しい世界ではあるが、そういう営みの中でしか培われない喜びをいずれ学生たちにも感じてほしいと思っています。
余談ですが、建築家や建築学生にはなぜかサッカーをやっている人が多い。ACUPという700人ほどの建築関係者が集まる大会が、年に一回開催されています。 ACUPのAはArchitectureのAです。東日本大震災後の被災地への迅速な支援もこのACUPのネットワークが多いに役立ちました。個の力とそれを活かすためのチームという構造が似ているのかもしれません。

先日、「入るかな?はみ出ちゃった。~宮本佳明 建築団地」【図版7】という展覧会を開催したのですが、これは原寸大の建築模型(モックアップ)の一部がレリーフのように壁や床の至るところから浮かび上がるという展示です。通常、建築展と言えば、図面、模型、写真といった副次的なマテリアルによって実物の建築を表現しますが、そこにはスケールというものが欠落しています。たとえ部分であっても建築物の原寸を展示することによって、想像力によって全体像を感じることができるのではないかと考えたのです。
この展覧会は、大きなテーマとコンセプトは私が決めましたが、多くの作業を学生たちに任せました。自分自身の頭で考えるということを、トレーニングとしてできるだけやってもらいたいと思ったからです。建築家としての実務を通して、こういった機会を学生たちに与えることも私の使命だと考えています。